この世で一番嫌いな場所:学校 の女が教職を履修した話
ゼミの教授より「教育実習の評価に関することで相談があります」とLINEがきたのが今日の午前中。そもそも、これっぽっちもやりたくない「所属ゼミの先生へのメッセージ」をゼミの同級生と撮影するという苦行約束があった私は、卒業論文の差し替え分をゼミの教授に出すために会いに行かなきゃならなかったこともあり、特に何も悩まず教授の研究室に行きました。(ツイッターで「卒論出しました!」って書いていたけど実はまだ若干作業が残っていたのであった)
ちなみに呼び出しをくらった私の予想では、あ~~、教育実習日誌に記入欄があった事前ガイダンスのところ真っ白だったからかな~~、みたいな感じでした。まあ怒られるだろうけど適当に言い訳すれば良いさ、という感じ。
ところがどっこい、先生のLINEのメッセージ通り、話と言うのは本当に「教育実習の評価に関する話」だったのです。
この教育実習の評価って何かと言いますと、実習期間の態度や活動を5観点くらいから5段階評価で付けるというようなものです。
うちの大学のとはだいぶ違ったけど、こんな感じ。
きょうの午後は、うちの研究室の学生の教育実習の評価授業でした。車で2時間くらいのところまでは、時間が取れれば、行くようにしています。イロイロ勉強になるよ。「教える」という面では、小中高の先生の方がプロですからね。私は教員免許を持ってないのだ。 pic.twitter.com/Z9EHGC2Dyh
— Ryusuke IMURA (@tigers_1964) 2018年6月13日
で、この実習校の指導教諭から届いた評価を見て、ゼミの教授が最終評価を決めるんですよ。全部は映ってないですけど、多分この実習生は大学の成績ではBが付いたんじゃないかなあ、知らんけど。
そして本題に入る前に(むしろこれが本題か?)、私の評価を教授がちらっと見せてきたんですね。その後回収されたので何項目あったかは忘れたんですけど、「2」か「1」しかなかった。いやいや、これ理数科目の通知表か?ていうか1とかさすがに人生で一度も取ったことないわ、いやまあ単位は落としてるので実質1みたいなところあるけど。
で、評価できる点みたいなのが「無遅刻・無欠席」だけでした。まあそれすらも2は2なんですけど。むしろ遅刻・欠席したら実習強制終了って言われてたのに休むわけなくね???まあそれしか書くことなかっただけなんでしょうけど。
でまあ、2と1しかないもんだから、これは「C」しか付けられないということになったわけです。で。この「C」ってやつが曲者で、評価に「C」が付くと教員に採用されることはまずない、というやつらしいんですね。
よーーく考えると事前ガイダンスでもそんなこと言ってた気がする。
で、教授的には何かの課題を出すとかして「C」を「B」に変える裏技を使いたいんだが、それも使えないと。
なんでかって言うと、私の評価内容を総括すると「コミュニケーション不足」みたいな感じだったんですね。正直これめっちゃオブラートに包んでる。もっとひどかった。
そして、裏技適応ができるのは指導力不足とか教材研究不足、とかいうやつだけなんですって。
ほら、勉強してレポート書けば強化できる感じするじゃん?
それでとりあえず、実習の反省と、指導教諭との関係と、あと子どもが好きか、というのを質問されました。別にそれで評価が覆る訳ではないので今思えばただも絵踏みだった。
こいつやっぱC付けるしかないな、という。
ちなみにずっと言ってるBとかCとかってのの評価はこーいうもんらしい。
教育実習の評価には「A・B・C・D(不可)」がある。今までに「D(つまり不可)」になった学生を見たことがない。「C」でもほとんどいない。「C」にするときも大学の方電話をかけるからね。
— さすらイェイ‼🌴🏄 (@kkeewon_rode) 2019年4月23日
まあ、「教育実習」「評価」「C」で検索すると一定数「Cだったけどwww」みたいなオタクのツイートが散見されるので安心する。同族も一定数居るよな。
話を戻して、聞かれたことに正直に答えたということで、その内容は~~!っていきたいところなんですけど、表題に全く触れすにきたのでこの辺で触れておく。
まあ、この世の中には嫌いなものっていうのは多数存在していまして、その中の場所部門堂々の1位が学校だったって話です。そもそも私、保育園の時分から問題児で通ってまして、問題児つっても壊滅的なまでにハーモニカが吹けないとか、素直にお昼寝しないとか、お喋りが過ぎるとかそういうやつです。別に走り回って席に座れないとかそういうのではなかった。
小学校。今なら分かる。小学校に比べて、私の異質さはひどかった。自分でも何件か未だに恥だなと思ってるし、記憶から消し去れるのなら消し去りたい、という出来事がいくつもある。いわゆる黒歴史、というにはあまりにもしんどいやつです。なんかのなりきりしてたとか、強めの妄想オタクだったとかそういうやつじゃないので。
でもここでネタにはしません。ネタにできるほど穏便なやつがない。(若干語弊)
ネタにできる程度のことと言えば、とにかくひどいアレルギー性鼻炎だったのでくしゃみと鼻水が止まらなかったとか。重度のアトピーの一歩手前で皮膚のあちこちが切れてたとか。いや正直この辺もネタとしては微妙ですね、しかも今現在も全く治ってないし。
あっ、一応不登校もやりました。でも中途半端にプライドがあったので卒業式とか出てました。今思えば、卒業式バックレて、私も校長室で個別の卒業式を受けて、そしてけっけさんの仲間になるべきだった。
中学校。同上。部活の同級生はお友だちだったけど他は触れてはいけません。
高校。やっぱり同上。お友だちは0ではなかった。そんな感じ。
でまあ、非常に異質かつ巷にあふれるいじめの程度としては非常に軽かったとは思うんですけど、見事にいじめの標的でした。大学はいじめって言うか分からんけど、大学でも浮きまくって友だちはほぼ0です。まあしょうがない。
そんなこんなで変人極めてた私は、就学したその日から長らくいじめられっ子的なポジションに位置し、カースト上位の人間をすべからく苦手とし、学校は大嫌いな女に成長しましたとさ。おしまい。
で話を閉じたらこのブログの意味がないんですね。
いやまあこのブログに最初から意味なんてないんですけど。
そ~~~んなに学校が大嫌いなのに、大学に入ったらなにかしらの資格を取るものだと思い込んでいた大学1年生女子。とりあえず初年度から取れるのは教員免許課程だけである、ということで取り始めてしまいました。
いや正直クッッッソめんどくさいですよ。
うちの学科の謎ルールとして英語と社会の同時並行履修を進められ、週6日学校に登校し、その内の5日は1限で、内2日くらいは1~5までびっしりだった。
今思えばよくやったな、って感じだし、2年の秋まではスペイン語以外フル単だった。
何なら2年の秋学期には卒業単位の選択分は全部取り終わってるくらいの勢いだった。やる気に満ち溢れすぎてて過去の私が眩しい。
そして3年次に全力で道を踏み外しつつも教育実習にこぎつけた私はえらかった。(自画自賛)
そして同時に大学1年の6月頃から、私はバイトを始めました。
個別指導、グループ指導、家庭教師ととりあえず教育系は一通りやった。
盛りました、集団はやったことないし、1か所面接で落とされた。
で、バイトしていく中で、あーーーむり向いてない絶対やめる、と思ったことも幾度となくあったんですけど、なんだかんだグループ指導だけは続けて3年経ちました。
やめる、って思った回数以上に起こった出来事が、個別寄りのバイトばっか選んできた結果、凄まじく勉強ができない子、だけじゃなくて、学習含め脳機能になんらかのハンデがあるんじゃないか、と思う子に出会う機会がめちゃめちゃ増えたんですね。
むしろ毎年度、どこの教室行ってもなぜか担当になっている、みたいな空気すらあった。(多分偶然です)
で、そのバイトをしながら、ぼんやりと発達支援に関係する仕事に就きたいなあと思い始めます。実際、ゼミもそのテーマで3年間やってきたし、卒論のテーマも大枠で言えばそれに該当します。
で、進路を考えている内に、私は「特別支援学校の先生」になりたいのでは???と閃きます。とは言え、今年の春は就活しないといけないような気になって、何社か説明会に行ったりしてました。
さて、教職の授業では道徳とか生徒指導とかそういうのも必修に入ってくるんですけど、生まれてこの方、学校が肌に合わなかった自分は、どう考えても担任とかは無理である、というのを早々勘付いていました。いや勘付くというより当然のことすぎて、自明の理って感じなんですけど。(意味の重複がすぎる)
反面、それが年がら年中の仕事となれば別だとしても、小学1年生から自発的にボランティアを毎年夏休みに参加して、バイトでも何かしら困っている子に遭遇し続けた私にとって、支援学校での勤務ってめちゃめちゃイメージしやすかったんですよ。
というか、介護等体験で特別支援学校への実習も教職取るには義務付けられてるんですけど、その時めちゃめちゃしっくりきたんですよね。
たった二日間だから勘違いかもしれないけど。
処世術とか全く持ち合わせてなくて、実習級の先生に「いくつに見える?」という絵踏みをされて実際の年齢ぶち抜いたけど。
でも本来、特別支援学級は一学級に教員二人居るところを、もう一人が二日間とも休みで、他の実習生に比べると体験の程度がガチになったのは本当です。
でもその日、あんま辛いとか、大変だなあって思わなかった気がするんですよ。
それを思うとやっぱり適正ありそうじゃない??って。(短絡的なところは否めない)
そんな感じで介護等体験は終え、教育実習に行ったわけです。
約15年くらいかけてこじらせた性格的に、適性がないと思ったなりにめちゃめちゃ頑張って。とは言え授業の適正はそこまで低くないと思うんですよ。「2」を付けられたけど。
「2」を付けられたけど。
これは別にしぬほど自己評価が高いとかそういうことじゃなくて、正直HRですら何か喋るの死ぬほど苦痛で、毎日「天気」+「頑張りましょう」で済ませてた私が、授業になると別人のように流暢に喋りだすわけです。これについては、褒めて伸ばすタイプだったのか、さすがにあまりの変貌ぶりにコメントせずに居られなかっただけなのか知らんけど、一応指導教諭も褒めてくれたし。(いや、あれは褒めたというより比較しての話だったのでは...?今更だけど)
あと女子中学生でやっぱカースト高い女子は心得てる、ってだけかもしれないけど、「先生の授業面白かったです」って言ってくれたし。
サンプル少なすぎて逆に泣けてきたのでこの辺で止めますね。
つらつら書いてきましたけど、研究授業で色々な方面で大失敗をしつつ、生徒と明るくコミュニケーション!ってタイプではなかった私は物の見事にゴミのような評価を付けられた訳ですが。
人生において、ここまで悪い成績(なんなら人格否定すら入ってる)を見た私はめっちゃ落ち込んだし、むしろ超泣いたし、上に書いたようなことを聞かれるままに喋ったら(特別支援関係の話はしてないけど)、教授に特別支援であっても教員の適正はないから絶対無理だやめておけ、今から就活をしろ、キャリアセンターに行けば相談にのってくれるぞ、と否定だけして全面的に問題を丸投げしました。
そんな感じでめちゃめちゃ落ち込んだ私、なんとそのあとバイトに行きました!(えらい!)
歩いて駅に向かう道も、電車に乗ってバ先に向かう間も、自分の進路はこれしかない、くらいに思っていたものを全否定されたのでめちゃめちゃ悲しくて、みっともなくめそめそしてたのに、にこにこ働いた!
いやまあかわいい子どもに癒されたという話もある!
で、バイトを終え帰宅。
この時点で落ち込みモードに入っている私は、就職先は決まってないが臨時採用で行く予定である話をしていた母に今日の顛末を説明します。
やっぱり相変わらずめそめそはした。ショックなので。
一通り話を聞いて、母一言。
「嫌いな人間の言うこと真に受ける必要ある???」
いや実際、C評価だと就職不利かも云々は母親の知るところではないし、教授や指導教諭の言うことも、自己評価と合致してるところはあるんですよ。
どころか、普通校の通常学級、おまけに中学なんて地雷役満みたいなところで実習してる訳だから、むしろ評価不能や不可にならなかっただけでも良かったのでは?
みたいな気分に母親と話している内になってきた。
基本的にうちの母親はスパルタ強めだと私は思ってるんですけど、いかんせん母と私のタイプが正反対なのでめちゃめちゃ頻繁に揉めるんですね。
でも、
「現状で最も向いていると推測される仕事を目指すのを辞める必要はない」
「向いてる向いてないは実際にやってから自分で判断すべき」
「将来に1mmも責任を負わない奴の話を聞いて何になる」
と言われてる内にそれもそうだなー、ってなってくるんですよ。不思議なことに。
いや不思議でもないか。
だって自分でも教育実習期間中もずっと、通常学級の勤務は不適格である、と思った上で実習を受けて、思った通りの評価が返ってきただけ。
実習先が志望している学級形態でも教育課程でもないのに、それだけで志望先への適性まで全否定とかおかしくね?コミュニケーション能力が本当に0ならなんでバイトできてるの??そもそも特別支援教育を専門にしてるわけでも、実際に中高で教師をしてた訳でもない教授に言われる筋合いねえな???ってこうやってストレス発散にメモを書くに至りました。
ちなみに教員を志望する経緯は、
特別支援に関心を持つ→教職取ってるからとりあえず支援学級・学校勤務いけるのでは??→これは本格的に目指せるぞ
って感じなので、通常級無理だからそっちいこーっと、みたいな流れではない。
と、うっかり目立ってしまうことがあったら怖いなー、と思って追記しておく。
加えて言うなら、無理だって言われたけどどうする?県内の相談員の職に応募する?いやでも実質あれパートだし.....これから臨床心理士の資格を目指す?.....いやいやこれから新しく大学は行けない、どうする?とめちゃめちゃ考えてたので、子どもの支援という職業以外を目指す気がさらさらなくて、想像以上に本気だったなわたし、と思うなどしました。
今度こそおしまい。